──犬飼さんはずっとeスポーツ(※1)に取り組んでこられていて、幅広い意味で「ゲーム」との関わりが深いですよね。

(※1:「エレクトロニック・スポーツ」の略で、電子機器を用いて行う娯楽、競技、スポーツ全般を指す言葉。コンピューターゲーム、ビデオゲームを使った対戦をスポーツ競技として、近年国際的に注目を集めている)

eスポーツに代表されるテレビゲームはもちろん、広い意味での「遊び」をずっと考えてきたんだと思います。実際に子どもの頃は外で遊んでいたし、家に帰ればテレビゲームでも遊んでいました。僕は1970年に生まれなんですが、ファミリーコンピュータが発売されたのが1983年。ちょうど中学生でした。つまり、テレビゲームも外での遊びも垣根なく育ってきた世代なわけです。

エウレカコンピューター株式会社・犬飼氏。

──なおかつ、一般家庭でテレビゲームに触れた最初の世代というわけですね。

そうなんです。それが僕の次の世代になると、テレビに繋がず携帯できるゲームボーイが登場したことによって、外でもゲームという仮想空間の中で遊ぶことができるようになった。その頃から──ひょっとすると今も変わらないかもしれないけど──「外で子どもが遊ばなくなった」とか「子どもがスポーツをやらなくなったのはゲームのせいだ」って言われるようになりました。

ただ、僕にとって「現実での遊び(=鬼ごっこ等)」と「仮想空間での遊び(=テレビゲーム)」は楽しさにおいて全く同じもので、つまり単純にコンピューターという道具を使って友達と遊んでいただけだったから、そういう大人の意見は的外れだなと思ってました。テレビゲームの「ゲーム」も、スポーツの「ゲーム」も、どっちも同じ遊びだったんですよね。

──では、事業としてもeスポーツに興味をもったのはどんなきっかけがあったんですか?

インターネットが普及し、インターネット空間という「場所」で速い速度でコミュニケーションできるようになったことが大きいですね。まず、ネット掲示板が流行ったり、ゲーム空間でのオンライン対戦ができるようになってきた1999年頃にeスポーツという単語が散見されるようになりました。そのような流れの中で、韓国の企業がいち早くeスポーツという新しい競技性を全面に押し出した「ワールドサイバーゲームズ」という大会を開いたのが個人的なきっかけだったと思います。大変衝撃を受けたため、この大会には日本から代表選手を送りだしました。

──なるほど。するとアナログやデジタルを問わず、現在までずっと、あらゆるタイプの遊びを考えてこられてきたわけですよね。「遊ぶ」ということに、ここまでの面白みを見出したのはなぜなんでしょう。

それは単純で、人間と遊びというのは根本的に切り離せないものだからです。人間は新しい道具を手に入れたら、まずそれを使って遊ぼうとする。自動車が生まれた時には、実用化以前に「どれだけ速く走れるか」って感覚で遊んできたし、コンピューターでも同じように遊んできた。そういう歴史が続いてきたから、今後人工知能や人工生命といった新しい技術に対しても、まず「どう遊べるだろうか」と考えるのは容易に想像できる。技術と遊びというものは、そうやって相互に関係して発展してきたんですね。これは何も新しい考え方ではなくて、1930年代にオランダの歴史学者であるヨハン・ホイジンガが『ホモ・ルーデンス』という著作で唱えているんですよ。「ホモ」は人、「ルーデンス」は遊ぶという意味で、つまり人間とは「遊ぶ種族である」と提唱した著作です。

──ではそんな「遊び」の流れで今回のテーマである「未来の公園」について話したいです。例えば都市施設帯を利用してみんなが遊べる「未来の公園」をつくるとして、どのような形が考えられると思いますか?

一つ参考になるのが「公園をアップデートしよう」とする試みとして、山口県にあるYCAM(山口情報芸術センター)が取り組んでいる「コロガル公園シリーズ」というプロジェクトがあります。これは様々なITやテクノロジーが生活環境に組み込まれた現代において、人はどう公園で遊ぶか、楽しむのかを検証する実験でした。この企画はとても好評で、山口に続き北海道でも「コロガル公園 in ネイチャー」という名称で開催しているんですね。センサーやLED、マイク等を使って、人の動きを捉えて反応する仕掛けになっていて、体験する人たちによって自由に遊びのルールをつくって、話し合って新しい機能を追加していくという、まさに新しい公園の形を魅力的に提示していると思いました。

近い例としてぼくたちのやっている事例で言うと、体育館でIoT(Internet of Things:「モノ」のインターネット化)を用いた「未来の運動会」というイベントを不定期で開催しています。運動会といっても、毎年同じ種目=ゲームをやるのではなく、市民がゲームを自分たちで作って、遊ぶことがテーマ。より長いスパンで利用できる、普遍的な「道具」として公園や体育館を使っていく試みなんです。

──人と遊び、という観点から新しい公園のあり方を想像されているんですね。

もちろん現実に落とし込んでいく際には、まず大前提として「公園」という以上パブリックなものにしないといけないとは思っています。

──そうですよね。ただ、ほとんどの場合、現実社会の土地や空間は誰かが所有しているし、それは今後も変わらないと思います。パブリックな空間としてプロデュースする際に、どうやって場所にまつわる課題を解決していけばよいでしょうか?

そこで参考になるのが、インターネット上で行われてきた実験です。オープンソースやクリエイティブ・コモンズなどがいい例でしょう。著作者がインターネット環境の発展のために、その著作物を多くの人が利活用できるよう権利を明確にして公開するというもので、こういった試みはこれまでにもたくさん行われてきています。では、そんなネットでのトライアルを現実にどう取り込んで考えられるのか? そういった視点で考えるべきだと思います。

──ある人がつくったモノやアイデアについて、その権利者がコピーや改良されることを想定して、他の人も活用しやすいようにやっても良いことを明確にしておくということですね。

近年注目されている、シェアリングエコノミーの発想もその一部ですよね。実際の空間もハードウェアではなく、ソフトウェアのレベルで使用する権利を細かく変えられるようにしている。

──ちなみに犬飼さんが考える理想の公園というのは、今ある公園と何がどのように違うのでしょうか?

うーん……怒り方が優しい公園かな(笑)。

──どういうことですか?

例えば自由に遊んでいて、何か迷惑なことをしてしまったら人は怒りますよね。今の公園だと、それは決められたルールに沿って、ある種機械のように人間が怒ってくる。そうでなく「それやられちゃうとさぁ〜、ほんと困るんだよねぇ…」って、優しい感じで怒ってほしい(笑)。そういうところが違うかなぁ。ルールはルールとして改変を含めて機械が素早く処理してくれて、人は優しい公園。

──そこにいる人たちの間で、対話が生まれるような場所ということかもしれませんね。どうやったらそんな理想の公園に近づけられるんでしょう。

大切なのは、その土地の近くに住む人達が公園の理想的な形を自分たちで自由に変えられるよう、都度ルールを改変していけることだと思います。それと、地権者は当事者達にちゃんとその場所を利用できるパーミッション(権利)を与えること。このパーミッションとは、IT的な言い方だと「書き換える権利」「閲覧できる権利」「実行する権利」の3つ。常によりよい形、みんなが納得できる形にするために、これは実際の土地にも応用できるアイデアだと思います。

そもそも公共の土地って、「公共なので市民のものだって言い張る事実上の一人の地権者」がいて、結局その市民ってのは市民本人も自分が当事者と思ってないから、だれも使える状態になってないことが多いのではないでしょうか?

地権者も市民も未来の公園についていきなり議論をするというよりも、そこに関わるみんなが「いい公園像を感じられるようになること」が大切だと思います。コーヒーを飲みながら、ざっくばらんにおしゃべりするってことから始めるのがいいと思いますよ。