荒川水脈が育む、埼玉の酒

 

あまり知られていないが、埼玉県は35の蔵元を抱える酒処である。首都圏でありながら豊かな自然を持ち、荒川と利根川のふたつの水系を有する土壌では、軟水による、口当たりの柔らかな酒が生まれてきた。

中浦和駅からほど近くにある蔵元・内木酒造。敷地には大きな松が茂り、その下には鳥居と祠が顔を覗かせる。明治時代に建てられたという母屋の、注連縄のかかった玄関をくぐり、たたきに作られた応接スペースに上がった。出迎えてくれた内木英行さんは「あまり資料とかはないんですけどね」と言いながら、話を聞かせてくれた。

明治期の建築。蔵元としての240年余りにおよぶ歴史のなかでは、比較的「近年」の建物だ。

内木酒造の代表的な銘柄、〈旭正宗〉。口当たりのよいすっきりとした味が人気だ。

内木酒造の歴史は、はるか安永4(1776)年に遡る。杉田玄白が『解体新書』を記し、アメリカでは独立戦争が行なわれていた頃だ。英行さんの父である、当代の社長、内木滋郎さんで10代目となる。

「もともとはこのあたりが農村地帯で、うちも農家をしながら、米が採れるので酒を作っていたみたいです。最初にできた銘柄が〈旭正宗〉というもので、今も人気の酒ですよ」

酒造りは水が命だ。内木酒造では豊富な荒川水脈の地下水を使い、〈旭正宗〉や〈純〉、〈うらら〉といった銘柄を生み出してきた。まだペットボトルの水が発売する前に、〈うらわの水〉という缶入りの水を発売したこともある。それほど水がうまいのだ。

かつては井戸があったが、今は井戸水を引き上げ、タンクに貯めて使用している。

とにかく広い蔵の中。ひんやりと涼しい。

英行さんは家業を手伝いながら、代々受け継がれる酒造りにも携わっている。とはいえ、酒造りの梶をとるのは杜氏と呼ばれる職人たちだ。

杜氏は地域ごとに流派があり、仕込みの時期になると各蔵元へ出向いて酒をつくる。日本最大と呼ばれる岩手の南部杜氏をはじめ、新潟の越後杜氏、兵庫の丹波杜氏といった流派が各地にあるが、その多くが人手不足で、代が続かないところが多いという。

「酒は秋から冬の寒い時期に仕込みますから、冬になると岩手から杜氏さんがやってくるんです。昔は新潟から来ていたようです」

蔵を見せてもらうと、直径2メートルほどの大きな釜がドンと置かれていた。まずはここに米を入れて蒸すのだそうだ。今はオフシーズンなので蓋とシートで覆われていたが、開けてみるとなかなかに深い。何人で作っているんですか?と尋ねると、「杜氏さんがふたりですから、僕を入れて3人ですね」と答えてくれた。想像するよりも少なくて驚く。製造から管理、その後にラベルを貼って出荷するまで、すべて自分たちの手で行うという。現代の酒造りは少数精鋭なのだ。

蓋を開けると冬の始まり。天井には蒸気を逃がすための大きな通気口がある。

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