父から子へ 受け継ぐバトン

 

中島さんは、これまでにも様々な飛行機に挑戦してきた。妖怪が空を飛ぶもの、観覧車タイプ……。しかしやはり売れるのは、ゴム飛ばしグライダーや、プロペラグライダー、ライトプレーンといった、スタンダードな飛行機が多かった。そもそも、ツバメ玩具の飛行機はよく飛ぶのだ。

「全然売れなかった!」と言う妖怪グライダー。在庫は全部捨てたらしい。

聞くと、図面を引いて型を起こすのではなく、「こんな感じかな?」とシートを切り、サンプルを作ってテスト飛行を重ねていくのが中島スタイルなのらしい。数値にできない職人の知恵と感覚に一驚していると「実はちょっと秘密があるんだけどね」と笑った。

中島さんの作業デスク。年季の入った壁掛け電話帳が、ツバメ玩具の歴史を物語る。

紙袋の絵は、付き合いのあるイラストレーターさんに描いてもらったという。

早い段階から効率化を考え、現在は外注に加工を依頼している。パートさんたちが作業をする事務所奥の作業場では、三男の貴正さんがシートから飛行機の型抜きをして段ボールに詰め込んでいた。家業のツバメ玩具は、今、貴正さんが手伝っているという。中島さんも三男、自分の仕事を継ぐのもまた三男だ。

「俺のときも、長男も次男も家を出て、家に俺しかいなかったんだよ。こういうのは三男がちょうどいいみたいだね」

手慣れた様子で型抜きをする、三男の貴正さん。

しかし中島さんは、先代の言葉を今でもはっきり覚えている。

「辞めたくなったらいつでも辞めていいぞって。一生懸命になりすぎて、それで事業といっしょに共倒れしちゃうやつはたくさんいる。嫌になったら逃げてもいいんだから。仕事ってのは、気楽にできなくちゃしょうがないじゃない」

さらりと話す中島さんだが、その言葉は決して軽くない。先代からつながりのある町工場を今でも大切にし、改良を重ねながらも、作る商品は飛行玩具ひと筋。中島さんが息子に何かを託すように、街角での子どもたちの体験もまた受け継がれていく。子どもの頃にツバメ玩具の飛行機を遊んだ父親が、子どもに同じものを買い与えることも多いという。次の代から次の代へと。

「俺なんてただの職人だからさ」と笑う中島さん。しかし、その功績はとても偉大だ。

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