誰もが一度はこの、戦闘機が描かれた長方形の紙袋を見たことがあるのではないだろうか。かつては駄菓子屋を中心に販売され、今はコンビニなど、幅広い店舗での取扱いがあるというソフトグライダー。ゼロ戦やグラマンなど、実際の戦闘機をモチーフに作られた飛行機は、簡単に組み立てができ、ぐんぐんとよく飛ぶ。製造元はツバメ玩具製作所。埼玉県戸田市に事務所を構えている。

 

経理マンの父が作ったグライダー

 

「話すことなんて何もないよ。それ見りゃだいたい書いてあるからさ」

2代目の中島泰三さんはそう笑いながら椅子を用意し、かつて取材を受けたという記事を見せてくれた。ツバメ玩具の創業は、戦後に遡る。

昭和25年頃、父親で経理マンでもある先代の中島熙雄(ひろお)さんが体調を崩し失業。生活の足しになるよう、自作の笛や万年ノートを作り、自宅のある蕨市(当時は蕨町)から台東区蔵前の問屋街まで自転車で売り込みをしたという。コツコツと地道な活動を続けるうち、顔なじみになった問屋さんに「組み立て式の木製グラインダーを作っているメーカーが廃業する。あんたのところで作ってみないか?」という打診を受けた。

こうして生まれたのがツバメ玩具だ。

ラインナップの一部。大型の「ツバメライトプレーン」、前述の戦闘機は「ソフトグライダー」、“2回宙返りする”のコピーが効いている「ゴムとばしグライダー」など。

シートに印刷された飛行機の型を、1基ずつ手作業で取り外していく。

当初は木製グライダーを作っていたものの、経木を扱う工場が少なくなったことにより、素材をポリスチレンをシート状に発泡させたポリスチレンペーパーに変更。カラフルな戦闘機をデザイン・印刷し、さらに型抜きをするところまで、実に2年の月日を重ねた。こうして誕生したのがソフトグライダーだった。

「当時付き合いのあった会社とは今も繋がってますよ。うちもそうだけど、それぞれ代替わりしてね。みんな町工場だからね。一緒にやっていかないとさ」

中島さんは高校を出てすぐに先代の仕事を手伝った。問屋街を歩き、営業をし、実際に働きながら仕事とは何たるかを体に覚えさせていった。仕事をやめたいと思ったことはなかったのだろうか。

「そんなの、誰にだってあるよ。車とかバイクが好きだったから。でも結局ね、俺はこの飛行機づくりが得意だなってところに戻ってくるのよ」

チャキチャキとした話しぶりの中島さん。製作から販売までを手がけるマルチプレイヤーだ。

スピット、メッサー、カーチス、ハヤテ……。奥の作業場に貼られていた、検品時の省略呼称。

先代が亡くなったとき、中島さんは34歳だった。仕事のイロハは学んできたが、いざ自分が後を継ぐとなると、経理などの事務処理は右も左もわからない。がむしゃらに働いた。「子どもの運動会に少し顔を出したぐらいだね」。仕事を継いでからの数年は、ほとんど休まず飛行機漬けの日々を送ったという。

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