高校野球から一転、調理の道へ
大宮駅東口を出て、ほどなく現れる住吉通りのアーケードをワンブロックほど進むと、今回の取材先「BISTRO 883」が右手にあらわれる。ここはどんな歴史を持ったお店なのだろう。オーダーを待つ間にオーナーシェフの今井光生さんに質問を向けてみると、意外なバックストーリーが返ってきた。
今井さんは高校時代、意外にも野球部でピッチャーとして活躍していたそう。できるなら都内の大学で野球を続けたいと思っていたところ、監督に「都内だとレギュラーは厳しいと思う」と言われてしまう。しかし、地方に出るのはどうしても嫌だったから、仕方なく野球は諦めることにした。かといって、何の目的もなく大学に通うのも親の手前申し訳ないので、戦後からずっと食堂を続けてきた祖父の意思を継いで、料理の道に進むことを選んだそうだ。
「高校卒業後、1年制の武蔵野調理師専門学校へ入りました。1年制だと、4月に入って、5月には就職活動が始まるんです(笑)。最初は、祖父が食堂をやっていたこともあって和食をやろうかなと思っていたんですが、卒業後に入ったのは、鉄板焼きとフレンチ料理を出すお店でした」
そこは、帝国ホテルで働いていたシェフが手がけたレストランで、連日予約で満席になる人気店だった。最初は洗い物から入り、1年後にはデザートを担当させてもらえるようになったが、その時点でお店を辞め、ホテルのレストランに移ったという。
「ホテルに勤めていた友人に、うちでやってみないか、と誘われたんです。僕も規模の大きいところで働いてみたいと常々思っていたので、これは滅多にないチャンスじゃないかと。そこは一度に300皿を作らなきゃいけないような環境で、仕込みのために海老の背わたを何百尾分もむいたりして、かなり良い経験になりました」
そこでは3年間働き、料理の基礎的な知識とスキルを身につけた(盛り付けもずいぶん上手くなった)。その後、今度は都内のカフェレストランへ。ここでは人間的に成長させてもらったと彼は話す。
「一つ一つのコミュニケーションを大事にするお店でした。例えば、同僚に自分から話すのが苦手な女性がいたんですが、周りは共通の話題を探して、うまく会話の糸口を作っていたんです。相手がアニメ好きだったら自分も観てみる、とか、良い意味でみんな空気を読んでいましたね。他人と楽しく働くために必要なことは、ここで学んだような気がします」
まずは相手に興味を持つ。その精神は、今の接客にも生かされている。
これまでの経験を活かし、祖父の後を継ぐということ
大小様々な職場で経験を積んできた今井さん。いよいよ食堂を継ぐことになったが、当初は戸惑うことも多かったそう。
「6年前に祖父がなくなって、僕がお店を引き継ぐことになったんですが、最初はカウンター越しにお客さんと話すのがとにかく辛くて……。相手の悩みとかを真に受けすぎて、ストレスになっていたんです。だけど、前のお店での経験を思い出して、一方通行ではなく自分からも積極的に話すようになってから、風向きが良くなった。人間関係も一気に広がったし、お店にもいろんな業界の人たちが足を運んでくれるようになりました」
そういえば、ここは本来ビストロのはずなのに、昼にカレーを出しているのは、少し不思議な気がする。聞けば、先代のおじいさんが出していたカレーがお客さんから大評判で、いつの間にかカレーを専門で出すようになったという。
それを引き継ぐ形で、今も昼はカレーを出している。特製カレーの値段は当時から変わらずワンコイン。そして、夜は自分のキャリアを生かしてビストロに。昼夜でお店の雰囲気はガラッと変わるが、そのミックステイストが店内の壁によく表れている。
「そもそも大宮にはまだ“ビストロ”と謳っているお店が少なくて、ザ・フレンチな雰囲気だと敷居が高すぎるんです。だから、見た目をちょっと洋食屋っぽくしたり、店内の所々で和の要素を取り入れたり……というわけで、今の状態に至りました(笑)」
今回の取材を通じても、たしかに今井さんは特別話好きという風には見えなかった。どちらかというと寡黙で、職人肌。だけど、お店には牧歌的な空気が流れていて、正に本来の意味での「ビストロ(小さな料理店)」という響きがよく当てはまる。料理はカジュアルで、ボリュームもあり、とにかく全体のバランスがすばらしいという印象。
今井さんにとって理想のお店とはどういうものなのか、最後に聞いた。
「うーん、難しい質問ですが、一人でも気兼ねなく入れるのが良いお店だと思います。でも、その塩梅って意外に難しくて、例えばマスターの愛想が悪くても、妙に居心地の良い喫茶店とかあるじゃないですか。あの感じが出せたら理想的なのかもしれません」