大型のダンプが行き交う戸田西のバイパス沿い。道を少し入ったところに、この地で長年親しまれてきた小さなとんかつ屋がある。阿部義昭さん(73)と弟・芳実さん(61)の兄弟が切り盛りする「とん八」は、鹿児島産の希少な黒豚などを使った分厚いカツが売りだ。聞くと、なんと今年で43年目だと言う。

看板メニューの、鹿児島県産黒豚のロースカツ定食(1900円)。

オーナーの義昭さんは、料理の道一筋で歩んできた生粋の職人だ。15歳でマグロ漁船にコックとして乗船し、1日5食を毎日作り続けること8年。寝る間もない地獄のような日々を生き抜き、船を降りてからはフレンチとカツを両方提供するレストランで修行を重ね、30歳でこの地に「とん八」を開店するまでこぎつけた。

「若い人に言いたいのはね、やっぱり何の仕事だって、好きじゃないとダメ。そうじゃないと、ずっとなんて絶対続けられないんだから」

美味しいカツを届けたい。その思いだけで40数年に渡り、静かに走り続けてきた。そんな阿部さんが上京してまず驚いたのが、水が美味しくないこと。まずい水で作った料理が美味しくなるはずがないと、創業時にアルカリイオン水の濾過装置を60万円(当時)で購入。以来、店内の全ての行程でアルカリイオン水を使用している。

オーナーの阿部義昭さん。笑顔が眩しい。

フレンチ出身という珍しい経歴は、定食につくソースにも活かされている。豆乳と牛乳をブレンドし、デミグラスソースのような行程で仕上げるそうだ。

水に始まり、豚肉はもちろん、カツを揚げる油、ソース、サラダ、豚汁…阿部さんの強いこだわりは定食を構成する全ての素材に行き届いている。万人受けではなく、自分達の良いと思う味を徹底して追求する。それこそが「スタイル」を作るのだと阿部さんは言う。

「100人中、60人くらいが気に入ってくれたらそれでいい。全員が気に入る味なんてありえないし、そんなものは作る意味もないからね。だからうちは『うちの味を好きな人』を大切にしてきたし、小手先の宣伝もずっと断ってきた」

そのまま食べて肉の甘みを楽しんでから、ソースをつけて食べるのが「とん八」琉

そのこだわりは、確かに結実していく。1984年、戸田市と中国・河南省開封市が友好都市提携を結んだ際、委員会の推薦によって、昼食会で「とん八」のカツが献上されたのだ。きっかけは、当時の戸田市長だったという。

「当時の市長さんは、家族みんなでうちのファンで。よく出前を頼んでもらってたんですよ。それで、『ここは美味しいから』ってことで、お声をかけていただいたんです」

駅から離れていることと、前述のとおりメディア露出を行わないため、常連客と口コミだけが「とん八」を支えてきたことは、これ以上ない信頼の証だろう。こだわりを大切に、自分達を好きでいてくれる人達を大切にしてきた、清く正しい庶民の店。少し足を延ばしてでも、その味に触れる価値は十分にあるはずだ。